日本では「ドンペリ」の愛称で呼ばれる「ドン・ペリニヨン」は、シャンパーニュ最大の生産者モエ&シャンドン社がリリースするプレスティージュ シャンパーニュです。作柄が良い年だけの特級畑とオーヴィレールの1級畑の、シャルドネとピノ・ノワールがブレンドされた単一ヴィンテージのシャンパーニュです。
ドン・ペリニョンは、1936年にモエ&シャンドン社が特別な顧客向けに1921年ヴィンテージの特別キュヴェを発売したのが始まりで、このときオーヴィレール修道院でシャンパーニュの発展に貢献した17世紀の修道士「ドン・ペリニョン」の名を冠したのです。オーヴィレール修道院は1797年からモエ社の所有でした。その後ドン・ペリニヨンは英国王室やマリリン・モンローといった人々に愛され、映画「007」シリーズにも登場するなど、話題に事欠かない高級銘柄となりました。
ところでドン・ペリニヨン修道士は「シャンパーニュの父」といわれていますが、スパークリングワインとしての製法を確立したのは本当は彼ではないともいわれているのはご存知でしょうか。
17世紀になってワインの運搬手段としてガラス瓶が一般化しはじめ、ボトル詰めされたシャンパーニュのワイン(当時はまだ発泡性ではない)はパリなどで人気を博するようになります。一方シャンパーニュ地方の冬は寒く、秋の収穫後の醗酵途中で冬を迎えると気温の低さで糖分が残ったまま醗酵が中断してしまうことがしばしば起こりました。これを出荷するため詰めて栓をしたボトルの中では、春になってあたたかくなると醗酵が再開してしまい醗酵によって生ずる二酸化炭素(炭酸ガス)が閉じ込められてワインが発泡性となったのです。そして当時のボトルはまだ頑丈ではなかったため、炭酸ガスの圧力でボトルが割れてしまうことが頻発してしまい、せっかく人気となったシャンパーニュにとって困った事態となっていました。
1658年19歳で修道士となったドン・ペリニョンは1688年にオーヴィレール修道院の酒庫係になりました。ドン・ペリニョンは修道士としてシャンパーニュの酒質の向上、安定に関する研究を行いました。その中には冬までにワインの醗酵が終了し、ボトルが割れずに安定した出荷が行えるようにするという研究もありました。つまりドン・ペリニョンは「ワインが発泡性にならないようにする」研究をしていたのです。
彼はスパークリングワイン製法を確立したのではありませんでしたが、そのほかにも「単位収量の制限」「選果」「ブレンド」など酒質の向上、安定に関する様々な研究を行いました。それまでは1年以上保存することが難しかったワインが数年も保存できるようになるなど、そのどれもが現代にも通用するような革新的なもので、後にその功績が称えられて「シャンパーニュの父」と呼ばれるようになったのです。
ワインの熟成のピークをプレニチュードと呼びます。
P2とは「Second Plenitudes」の意味で16年の熟成期間で2度目のプレニチュードをあらわしています。
「アッサンブラージュ」によって対照的かつ補完的な要素を組み合わせることで、それぞれの要素が互いに共鳴し合い、激しさや活力、精度を高めながら、ワインの持つエネルギーが最高潮に達します。
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